2019年10月08日
介護の合間 四国の名城巡り⑩
松山城(その1)
松山城は21棟の重要文化財を持つ四国屈指の名城。あまりにも見るところが多くて、じっくり見たつもりでもまだまだ見残している。桜満開の松山城もよかったが、何度も見にいかなければならない。今回の最高傑作の写真。この景色は地上では見られない。松山城を西から見たもので、南隅櫓(右)・十間廊下・北隅櫓(左)の奥に天守(中央)がそびえている。

昨日は宇和島城から松山城を見るために、肱川上流のなじみの小藪温泉のまったりした湯に浸かって疲れを癒した。近くの鹿野川ダムは放流能力改善のために放水トンネルの大改造が出来ていた。残念ながら昨年の異常豪雨には間に合わなかった。

肱川支川の小田川の河川敷には彼岸花が満開で、こどもの日の凧揚げにはこの辺り大勢の人だかりとなる。

標高132mの勝山に建てられた松山城にはロープウエーで省力化。二の丸からのわが国最大規模の登り石垣を見ながら登りたかったが、次回の楽しみに残した。案内板で今回歩いたルートを整理しておこう。見るところが多いので整理が必要。大手門跡→戸なし門→筒井門・隠門→太鼓門→本丸広場→天守・連立式城郭→紫竹門→野原櫓→乾櫓→乾門を出て城壁の外をめぐって艮(うしとら)門→リフトで下山

まずは大手門跡から正面遠くに天守を望む。城壁の上には太鼓櫓が見える。

折り返しの坂の上には戸無門(重文)

ここを曲がれば城中最も重要で堅固な筒井門。

筒井門右の石垣の裏に隠された隠門と隠門櫓(重文、写真無)。敵の背後を急襲する構え。この城を築城したのは「賤ヶ岳の七本槍」の一人加藤嘉明。築城当時河野氏の本拠地であった湯築城との緊張関係もあったとされていた。太鼓門を通ると広い本丸広場でその奥に姫路城と並ぶ連立式天守が現れる。

入城ゲートを通過していよいよ城内へ。しかし直ちに天守には通じない。城壁の角を曲がると正面に天守が現れる。左が小天守、右が一ノ門南櫓(重文)。
天守は創設当時は5層5階の偉観を誇っていたが、落雷で焼失して江戸末期に3層3階地下1階の天守として復興した。現存12天守の内唯一瓦に「葵の御紋」が付されている。

ここまでたどり着いても容易に天守にはたどり着かない。一の門と櫓で防御する。

続いて二の門と櫓(重文)で再防御。

さらに三の門・櫓(重文)を突破すると目的の天守にたどり着く。
これを人海戦術で突破するとすればどれだけの兵力がいるのだろうか。よくぞ作り上げてものだ。攻め落とすのは兵糧作戦しか考えられない。

これでと思いきや、天守玄関がある中庭を防御する最後の重要な筋鉄門があった。

いよいよ天守に攻め入る。次号要ご期待!
松山城は21棟の重要文化財を持つ四国屈指の名城。あまりにも見るところが多くて、じっくり見たつもりでもまだまだ見残している。桜満開の松山城もよかったが、何度も見にいかなければならない。今回の最高傑作の写真。この景色は地上では見られない。松山城を西から見たもので、南隅櫓(右)・十間廊下・北隅櫓(左)の奥に天守(中央)がそびえている。

昨日は宇和島城から松山城を見るために、肱川上流のなじみの小藪温泉のまったりした湯に浸かって疲れを癒した。近くの鹿野川ダムは放流能力改善のために放水トンネルの大改造が出来ていた。残念ながら昨年の異常豪雨には間に合わなかった。
肱川支川の小田川の河川敷には彼岸花が満開で、こどもの日の凧揚げにはこの辺り大勢の人だかりとなる。
標高132mの勝山に建てられた松山城にはロープウエーで省力化。二の丸からのわが国最大規模の登り石垣を見ながら登りたかったが、次回の楽しみに残した。案内板で今回歩いたルートを整理しておこう。見るところが多いので整理が必要。大手門跡→戸なし門→筒井門・隠門→太鼓門→本丸広場→天守・連立式城郭→紫竹門→野原櫓→乾櫓→乾門を出て城壁の外をめぐって艮(うしとら)門→リフトで下山
まずは大手門跡から正面遠くに天守を望む。城壁の上には太鼓櫓が見える。
折り返しの坂の上には戸無門(重文)
ここを曲がれば城中最も重要で堅固な筒井門。
筒井門右の石垣の裏に隠された隠門と隠門櫓(重文、写真無)。敵の背後を急襲する構え。この城を築城したのは「賤ヶ岳の七本槍」の一人加藤嘉明。築城当時河野氏の本拠地であった湯築城との緊張関係もあったとされていた。太鼓門を通ると広い本丸広場でその奥に姫路城と並ぶ連立式天守が現れる。
入城ゲートを通過していよいよ城内へ。しかし直ちに天守には通じない。城壁の角を曲がると正面に天守が現れる。左が小天守、右が一ノ門南櫓(重文)。
天守は創設当時は5層5階の偉観を誇っていたが、落雷で焼失して江戸末期に3層3階地下1階の天守として復興した。現存12天守の内唯一瓦に「葵の御紋」が付されている。
ここまでたどり着いても容易に天守にはたどり着かない。一の門と櫓で防御する。
続いて二の門と櫓(重文)で再防御。
さらに三の門・櫓(重文)を突破すると目的の天守にたどり着く。
これを人海戦術で突破するとすればどれだけの兵力がいるのだろうか。よくぞ作り上げてものだ。攻め落とすのは兵糧作戦しか考えられない。
これでと思いきや、天守玄関がある中庭を防御する最後の重要な筋鉄門があった。
いよいよ天守に攻め入る。次号要ご期待!
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22:03
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2019年10月06日
女木男木の風
全国ネットの介護メンバーですが、関東人が、時間の関係で、別行動。 瀬戸芸の鬼ヶ島に行って来ました。

展望台にて、
段々の風
イアラ女木での昼食文化?

前菜

前菜2

いりこスープ
地産ハマチ飯
身障者支援クッキー

庵治石の灯台 日本に2基しかない石作の灯台の1つ。
展望台にて、
段々の風
イアラ女木での昼食文化?
前菜
前菜2
いりこスープ
地産ハマチ飯
身障者支援クッキー
庵治石の灯台 日本に2基しかない石作の灯台の1つ。
2019年10月04日
介護の合間 四国の名城巡り⑨
日本庭園「南楽園」
宇和島城を正午前に出発し、七曲の国道56号から松山道E56号に入る。津島町市街地の先まで整備が進んで快適に南下。終点から少し戻ってなじみの食堂へ。ここの鯛めし定食はおいしくて、安くて最高!

2年ほど前に行ったことを女将が覚えてくれていて、宇和ゴールドのお土産までいただいた。
40年ほど前の大洲時代に南予レクレーション開発事業がスタートしていて、南予の夜明けだ!と交通の足となる国道56号の整備がせかされていた。その後何度か近くを通過したが立ち寄ることはなかった。南レク事業の目玉は何といっても日本庭園南楽園であった。なんでこの地に日本庭園?と疑問を抱いたままであった。第1次バブル時代。
広い駐車場に私の車が1台。ひょっとして貸し切りではと思うほど閑散としている。広々としたエントランス。

広々した園内の外周を反時計回りに散策開始!日本庭園らしくくぐり戸を通過。

木立に囲まれたマイナスイオン一杯の苔むした小道を進む気持ちは何となく日本庭園の雰囲気。

しばらく行くと湖畔に出て広々とした湖面が広がる。湖畔沿いの小道には開花が遅れた彼岸花が咲き始めていた。

湖水は潮止水門があるが海水も混じっていろんな魚が見られるとのこと。海の家の前には愛媛の鯉の石像が展示。

しばらく行くとき根っこに大きなこぶを持つ珍しい樹木に出くわした。

きれいに樹木を手入れしている職人さん。遠くの山を借景にゆったりとした日本庭園風景は、一時期有名になった鳥取県の足立美術館の日本庭園を思い出した。手入れの行き届いた庭をゆったりと散策するのは本当に気持ちいい。桜、サツキ、花菖蒲の開花時期が最高の鑑賞時期だろうが、見物人混雑しているんだろうなと思いながら散策した。

建物から離れているところで持参のドローン撮影。写真撮影はうまくなったが、動画は今一つ、経験が必要だ。

残り半周をショートカットする。今の時期咲いている花は何の花?

萩が咲き始めていた。

サツキが満開の時を想像するともう一度来たい。

レストランからの景色も絶景!よく手入れが行き届いている。一人で観るのはもったいない。

これから昨年の豪雨被害が激しかった宇和から肱川を下って小藪温泉で宿泊。途中山肌の崩れた個所を見ながら野村町にたどり着いたが、県道が土砂崩れで全面通行止め。国道441号を遡り城川町に迂回して無事に定宿の小藪温泉にたどり着き,肌に優しいすべすべのお湯につかり旅の疲れを落とした。
次回はいよいよ松山城へ!
宇和島城を正午前に出発し、七曲の国道56号から松山道E56号に入る。津島町市街地の先まで整備が進んで快適に南下。終点から少し戻ってなじみの食堂へ。ここの鯛めし定食はおいしくて、安くて最高!
2年ほど前に行ったことを女将が覚えてくれていて、宇和ゴールドのお土産までいただいた。
40年ほど前の大洲時代に南予レクレーション開発事業がスタートしていて、南予の夜明けだ!と交通の足となる国道56号の整備がせかされていた。その後何度か近くを通過したが立ち寄ることはなかった。南レク事業の目玉は何といっても日本庭園南楽園であった。なんでこの地に日本庭園?と疑問を抱いたままであった。第1次バブル時代。
広い駐車場に私の車が1台。ひょっとして貸し切りではと思うほど閑散としている。広々としたエントランス。
広々した園内の外周を反時計回りに散策開始!日本庭園らしくくぐり戸を通過。
木立に囲まれたマイナスイオン一杯の苔むした小道を進む気持ちは何となく日本庭園の雰囲気。
しばらく行くと湖畔に出て広々とした湖面が広がる。湖畔沿いの小道には開花が遅れた彼岸花が咲き始めていた。
湖水は潮止水門があるが海水も混じっていろんな魚が見られるとのこと。海の家の前には愛媛の鯉の石像が展示。
しばらく行くとき根っこに大きなこぶを持つ珍しい樹木に出くわした。
きれいに樹木を手入れしている職人さん。遠くの山を借景にゆったりとした日本庭園風景は、一時期有名になった鳥取県の足立美術館の日本庭園を思い出した。手入れの行き届いた庭をゆったりと散策するのは本当に気持ちいい。桜、サツキ、花菖蒲の開花時期が最高の鑑賞時期だろうが、見物人混雑しているんだろうなと思いながら散策した。
建物から離れているところで持参のドローン撮影。写真撮影はうまくなったが、動画は今一つ、経験が必要だ。

残り半周をショートカットする。今の時期咲いている花は何の花?
萩が咲き始めていた。
サツキが満開の時を想像するともう一度来たい。
レストランからの景色も絶景!よく手入れが行き届いている。一人で観るのはもったいない。
これから昨年の豪雨被害が激しかった宇和から肱川を下って小藪温泉で宿泊。途中山肌の崩れた個所を見ながら野村町にたどり着いたが、県道が土砂崩れで全面通行止め。国道441号を遡り城川町に迂回して無事に定宿の小藪温泉にたどり着き,肌に優しいすべすべのお湯につかり旅の疲れを落とした。
次回はいよいよ松山城へ!
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17:35
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2019年10月03日
介護の合間 四国の名城巡り⑦
宇和島城
宇和島市は「伊達10万石の城下町」と呼ばれ四国西南地域の中心として発展してきた。宇和島城は市街地のほぼ中央の小高い丘の上にあるが、建設当時は西側半分が海に面して、東側半分は海水を引き込んだ堀に囲まれた海城だった。

5角形の縄張りは築城の名手藤堂高虎の設計によるもので6年の歳月をかけて建設した。高虎が宇和島城の完成と同時に今治に入封した後に、伊達政宗の長男秀宗が入城した。2代藩主宗利が約10年をかけて城全体を大改築し3層3階の装飾性の高い天守となった。

城郭の東・南半分は国道56号が隣接しており、宇和島市街地を7回も大きく屈折する難所であった。海と山に囲まれた宇和島の町をいかにバイパスするかが40年前の大きな課題であったが、現在の港に隣接する位置にルートを決める作業にかかわったのはいい経験であった。何度も宇和島には足を運んだが、お城に上ってみることはなかった。
東北側の登城口から上ることにした。そこには藩老の武家長屋門が移設されていた。

ここから登城道を上るが、街中とは思えないほど樹木がうっそうと茂り、苔むした石垣を眺めながら道も整備されて市民の散策コースとなっている。

天守台の石垣はきれいに成形された石が積まれているが、斜面の石垣には海から集められたような岩も使用されていて面白い。

山頂近い広場まで上り詰めて、苔むした石垣に沿って石段を上る。

職人がロープで体を支えて草刈り機を器用に操作して石段に生えたつたなどの雑草を除去している。石垣をきれいに維持するのも大変な作業だ。

入口から天守の中に入ると鎧兜3体が並べられている。どこかで見たことがありそうな兜だが説明がない。

3階の最上階からの眺めは絶景。東側の宇和島駅周辺の市街地を望む。

北側の市役所、港、56号バイパスを望む。

武者走りに障子戸があるのは珍しい。平和な時代の造りではないかと言われている。

天守の説明図。

天守を退出して少し離れた二の丸からの自撮り。

二の門付近からの空撮

少し斜めから見ると玄関が落ち着いて見える。次回は宇和島のさらに南の津島町にある南楽園を紹介。
宇和島市は「伊達10万石の城下町」と呼ばれ四国西南地域の中心として発展してきた。宇和島城は市街地のほぼ中央の小高い丘の上にあるが、建設当時は西側半分が海に面して、東側半分は海水を引き込んだ堀に囲まれた海城だった。
5角形の縄張りは築城の名手藤堂高虎の設計によるもので6年の歳月をかけて建設した。高虎が宇和島城の完成と同時に今治に入封した後に、伊達政宗の長男秀宗が入城した。2代藩主宗利が約10年をかけて城全体を大改築し3層3階の装飾性の高い天守となった。
城郭の東・南半分は国道56号が隣接しており、宇和島市街地を7回も大きく屈折する難所であった。海と山に囲まれた宇和島の町をいかにバイパスするかが40年前の大きな課題であったが、現在の港に隣接する位置にルートを決める作業にかかわったのはいい経験であった。何度も宇和島には足を運んだが、お城に上ってみることはなかった。
東北側の登城口から上ることにした。そこには藩老の武家長屋門が移設されていた。
ここから登城道を上るが、街中とは思えないほど樹木がうっそうと茂り、苔むした石垣を眺めながら道も整備されて市民の散策コースとなっている。
天守台の石垣はきれいに成形された石が積まれているが、斜面の石垣には海から集められたような岩も使用されていて面白い。
山頂近い広場まで上り詰めて、苔むした石垣に沿って石段を上る。
職人がロープで体を支えて草刈り機を器用に操作して石段に生えたつたなどの雑草を除去している。石垣をきれいに維持するのも大変な作業だ。
入口から天守の中に入ると鎧兜3体が並べられている。どこかで見たことがありそうな兜だが説明がない。
3階の最上階からの眺めは絶景。東側の宇和島駅周辺の市街地を望む。
北側の市役所、港、56号バイパスを望む。
武者走りに障子戸があるのは珍しい。平和な時代の造りではないかと言われている。
天守の説明図。
天守を退出して少し離れた二の丸からの自撮り。
二の門付近からの空撮
少し斜めから見ると玄関が落ち着いて見える。次回は宇和島のさらに南の津島町にある南楽園を紹介。
Posted by さぬき男介護友の会 at
23:27
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2019年10月02日
介護の合間 四国の名城巡り⑦
大洲城周辺
肱川対岸の堤防上から見た大洲城。4層4階の天守は黒の下見板張りのスマートなたたずまい。四国に現存する4天守の中で最も背の高い天守である。

堤防の法尻には遅咲きの彼岸花が行儀よく並んで咲いている。

一方では秋桜が今を盛りと咲き誇っていた。

本丸から川側の小道をたどると肱川の川べりに到達した。生い茂る木々の間から見える川面は下流の堰に堰上げられた湖面のようで心を癒されるのどかな風景。40年前と同じ景色のはずだが、このような気持ちになるのは過ぎ去りし長い年の精か?

ちょうどカヌーを担いで川に下りる若い女性と出会う。聞くところによると、愛媛国体に出場した選手とのこと。

速さを競うカヌーなので大きさの割に軽量だとか。
川辺に浮かべていざ出発!


アッと思う間もなくす~いす~いアメンボのように上流に!ドローンで追いかけたかったが水上での撮影は経験不足で不安。さようなら、がんばって!

そこに、重文の苧綿櫓(読み方不明)が建てられていた。この場所は肱川から導水している内堀と外堀の重要な場所で、二の丸の出入り口になっていた。

今晩は大洲時代の仲間たちと昔なじみの店を転々として遅くまで飲み明かす。
翌日は宇和島城巡り。次回をお楽しみに!
肱川対岸の堤防上から見た大洲城。4層4階の天守は黒の下見板張りのスマートなたたずまい。四国に現存する4天守の中で最も背の高い天守である。
堤防の法尻には遅咲きの彼岸花が行儀よく並んで咲いている。
一方では秋桜が今を盛りと咲き誇っていた。
本丸から川側の小道をたどると肱川の川べりに到達した。生い茂る木々の間から見える川面は下流の堰に堰上げられた湖面のようで心を癒されるのどかな風景。40年前と同じ景色のはずだが、このような気持ちになるのは過ぎ去りし長い年の精か?
ちょうどカヌーを担いで川に下りる若い女性と出会う。聞くところによると、愛媛国体に出場した選手とのこと。
速さを競うカヌーなので大きさの割に軽量だとか。
川辺に浮かべていざ出発!
アッと思う間もなくす~いす~いアメンボのように上流に!ドローンで追いかけたかったが水上での撮影は経験不足で不安。さようなら、がんばって!
そこに、重文の苧綿櫓(読み方不明)が建てられていた。この場所は肱川から導水している内堀と外堀の重要な場所で、二の丸の出入り口になっていた。
今晩は大洲時代の仲間たちと昔なじみの店を転々として遅くまで飲み明かす。
翌日は宇和島城巡り。次回をお楽しみに!
Posted by さぬき男介護友の会 at
22:24
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