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Posted by あしたさぬき.JP at

2022年05月30日

介護の合間 瀬戸芸小豆島その5

本日予定の瀬戸芸鑑賞はすべて終了して、後は今晩の泊りの民宿「華望月はなみづき」をめざす。


以前、地元新聞に小豆島移住者の記事が目についてどこか縁のありそうな方だと興味を持ち、支援方々宿泊することにした。


目印は沿道の鹿島神社。


と思っていたら古くは賀嶋明神であった。少し小高い丘の上に本殿が樹木に囲まれて建っていた。


少し車速を落として走っていると、右路側に小さな看板を見つけて迷うことなく明るいうちにたどり着いた。
少し小高い場所に建っている宿からは、小豆島の観光スポットになっているエンゼルロードが正面に眺められる。


棚には九州の焼酎が並べられ、海の景色を眺めながら九州料理がいただける。




本日は昔懐かしい博多の名物水炊きと熊本名産馬刺しをいただいた。




新婚当初に住んでいた鹿児島県志布志産の焼酎「若潮」を見つけて、オンザロックで堪能したが、部屋に帰ったらそのまま爆睡。翌朝の朝食は地元の佃煮のオンパレードとお粥。


お腹の中まで癒された気分になった。夏は鹿島海水浴場が近くにあり、子供達は水着姿で移動できそうな感じ。ゆったりとした一夜を過ごせた  

Posted by さぬき男介護友の会 at 13:45Comments(0)

2022年05月28日

介護の合間 瀬戸芸小豆島その4

誓願寺のソテツ
三都半島先端からの帰路に31番札所誓願寺がある。小豆島には日本有数の巨樹が3つあり、宝生院のシンパクと樹齢千年以上と言われるオリーブ大樹と誓願寺のソテツである。このソテツは根元周囲約8m、高さ6mにも及ぶ巨木で、国指定天然記念物になっている。


一見何本もの株があるように見えるが一株で現在も橙色の花を付け実を落とすが、毒があり食べられないそうです。


少し小高い山裾に立派な本堂が建立されており、手入れの行き届いた境内を眺めながら参拝します。


小豆島ふるさと村を通り過ぎた入り江の淵に趣のある灯篭を見かけた。鳥居もありその向こうの山手には石垣が整備されていた。


何かいわれのある場所のようだが案内板がない。ふと海辺を見ると、変わった船が浮かんでいた。瀬戸芸の作品で日比野克彦の「種は船 TARA」である。


これも案内板がない。作品の意図とか説明版が欲しいと思うが、こういう気楽な瀬戸芸だということかもしれない。  

Posted by さぬき男介護友の会 at 12:05Comments(0)

2022年05月26日

介護の合間 瀬戸芸小豆島その2

三都半島
醬の里内海町から三都半島(みとはんとう)の作品に移動。




海を眺めながら新緑の中を走ると爽快な気分。サイクリングには最高のコース。東海岸から西海岸に移る峠を越えると巨大なウルトラボウが現れた。
早速ドローンのお出まし。


伊藤敏光と広島市立大学芸術学部有志の作品。身近な素材を使って工夫を凝らした作品で、瀬戸の海をゆったりと眺めている姿は素晴らしい。
その隣にインドネシアの作家の船をモチーフにした作品が寝転がっていた。


海辺まで下りると防波堤に寄り添って潮騒を聴く作品があった。この作品も伊藤敏光、康夏奈、広島市立大学芸術学部有志が製作していた、


穏やかな波音を建物の中で聞けば癒されそうだが、暴風時はどうするのだろうか。以前につくられた作品なので何度かの暴風雨には耐えてきているようだ。
近くの民家の中からヤドカリが出てきている作品があった。




古びた民家を殻にしたヤドカリは面白い発想であり、大きなヤドカリが動くと壊れそうな民家もまた面白い。傑作の作品だ。
  

Posted by さぬき男介護友の会 at 11:24Comments(0)

2022年05月22日

介護の合間 小豆島瀬戸芸その1

リフレッシュと瀬戸芸鑑賞を兼ねて小豆島旅行に出かけた。


高松港のフェリー上からは県営体育館建設工事を開始したサンポート広場のたもとのバラ園が見頃を迎えていたのが目についた。


まずはビートたけしの作品のある坂手港へ。弘法大師の杖ではないが、古井戸の水の神に代わり現れた怪奇な化け物が水を供給する。


建屋も上下に移動可能。この作品を地元有志がご神体として水の恵みを祈願する美井戸神社としました。


坂手港内にはビートたけしと共作したヤノベケンジが港に訪れた人たちを大歓迎するスター・アンガーの作品を設置していた。ドローンで近づくと迫力のある恐竜の姿を見せてくれた。


以前に食べそこなっていた醤油ソフトクリームを丸金醤油の案内所で食す。さっぱりした味でまた食べられそう。


旧内海町の中心地にある金両醤油製造所。


この辺りは製塩から醤油、つくだ煮と時代とともに変遷してきた。周囲にいくつかの作品があり、まずは公衆トイレ・・・え~作品?建物は醬油樽を模した円形の壁と屋根瓦にガラスを使用して照明を取っている。




少し山手には立派な屋敷と国指定の有形文化財となっている諸味蔵があり、


近くの公園にはオリーブのリーゼントの作品が飾られていた。


今回見た作品はすべて以前の瀬戸芸で作られた作品で長く大勢の人に親しまれていることは大変良いことである。
坂手港でばったり会った友人夫婦は、バスで移動していたが、途中でソフトクリームの道草をしながら車で移動している私と公衆トイレ作品前でまたもばったりと出会う。バス移動も捨てたものではなく、頻繁に巡回しているのかもしれない。  

Posted by さぬき男介護友の会 at 23:34Comments(0)

2022年05月08日

介護の合間 屋島城跡その3

当日の天気予報は11時頃から強風注意報が出ていた。西風をまともに受けるので無理と思いながら、条件付きでドローン持参。


12時前の状況は何とか飛べそうなので強行離陸。人命にも影響はないので気楽。機体はかなり押し流されていたが世界一の技術を持つDJIドローンの映像は上手く撮影されていた。1回目の飛行は失敗作。2回目をうまく撮んだと思っていたら、動画のスイッチの押し忘れ。3度目になると風も出てきて大忙しの飛行となったが、動画の撮影は無事終了した。屋島城跡の動画としてまとめてみた。


言葉の解説がうまく貼付できれば最高だがそこまで技術が到達していないのが残念。完成時の写真に貼付されている当時の予想図だが現地には存在していなかった。せっかく作ったのであれば残しておけばいいのに。それともPC上の作図か?  

Posted by さぬき男介護友の会 at 16:44Comments(0)

2022年05月06日

介護の合間 屋島城跡その2

屋嶋城跡をフリー百科事典「屋嶋城」から紹介する。


白村江の戦いに唐・新羅連合軍に敗れた大和朝廷は日本防衛のため朝鮮半島の山城を模した防衛施設を対馬~畿内に築いたことが日本書紀に記されている。667年に中大兄皇子の命により屋嶋城が築かれた。


屋島は江戸時代までは名のとおり屋根の形をした島であった。江戸時代に塩田開発と干拓により南北5km、東西3km標高292mの大きさの陸続きの山となった。
屋嶋城は南北嶺の全域が城跡とされて、山上の外周7kmのほとんどが断崖で南嶺の外周4kmの断崖の切れ目に城壁が築かれた。海岸から谷筋を登れば山上に通じた道があり、標高100mの山中に上り道をふさいだ石塁が大正時代に発見された。当時はこれを屋嶋城と考えていた。


2009年の調査で山頂付近の城跡が判明され、二重防御の城として他の同類城となった。




城門は懸門構造で高さ2.5mの段差があり容易に侵入できない構造になっている。




城内側は甕城(おうじょう)として防御構造を備えていた。


城壁は全長45m高さ6mの石塁が復元されて、2016年3月に一般公開された。


香川県には日本書記には記載されていないが、五色台に讃岐城山城がある。戦後、ゴルフ場が整備されてわずかに遺構が残っている場所がある。
他の山城の復元写真が目についたので貼付する。


屋嶋城もこのような姿であったのか、ここ迄建設する前に中止したのかは定かではない。  

Posted by さぬき男介護友の会 at 22:07Comments(0)

2022年05月04日

介護の合間 屋嶋城跡その1

5月2日大型連休の谷間の平日で人出も少ないだろうと久しぶりに無料解放された屋島ドライブウエイを走行して屋島山頂に出た。本日の目的は最近復元された屋嶋城跡の見学。ドライブウエイは無料となったが山頂の駐車場は有料となっていた。歩き慣れたコースを辿ると満開近いツツジに囲まれた85番霊場屋島寺の山門に到着。


屋島寺の参拝はパスして次は弘法大師ゆかりの「瑠璃宝の池」。源平合戦で血刀を洗ったので血の池ともいわれている。池は水面が見えないほどに新緑の草木に覆われていた。


特に紅葉の新緑はまばゆいばかりに輝いでいた。


屋島東面の角に昔の栄華が見る影もない国際観光旅館の残骸が残っていた。


現在、高松市と地元の協力で屋島の復興活動が続けられている。屋島山頂新水族館の継続もその一環で、数日前に水族館の名物飼育員がTVで紹介されたが、なんと小学生の正規飼育員とか。その精か地元小学4年生が山登りをして見学に訪れていた。山頂から壇ノ浦合戦の古戦場を眺めながら目的の屋嶋城跡に向かって進むが、どうも私のイメージと会わない。


屋島寺の山門近くで交通整理人に道筋を聞いたが城跡の位置を知らないという。目立った案内板もなく、すれ違いの地元の通行人に道を尋ねると逆の方向に進んでいた。道案内をしてもらってやっと屋島城跡の標識を見つけた。


山頂から少し下りた位置に城門の石垣が復元されていた。


城跡をドローンにより空撮したのち高松の市街地を見下ろしながら、途中で購入したダブルハンバーガーを何年ぶりかでかじりついた。屋嶋城跡の紹介は次号とする。

  

Posted by さぬき男介護友の会 at 23:33Comments(0)