2019年10月15日
介護の合間 四国の名城巡り⑫
松山城その3
城郭周りの散策を始める。南の紫竹門から侵入する。紫竹門とこれに接続する西塀、東塀で本丸広場方面から攻め入る敵を分断する役目と本丸のからめ手の重要な役割を持つという。それぞれ3つは重文。
写真右上の建物は小天守。その左は南隅櫓。左奥は手前から乾門東続櫓、乾櫓(重文)で二の丸から攻め上ってきた敵を迎え撃つ重要な防御拠点であり、門の左右に櫓が構えられている。

西の乾門方向からの防御態勢はこの図面で明確になる。

中の広場を北に進むと野原櫓(重文)がある。この櫓は本丸の北側を防御する重要な櫓で、日本で唯一現存する望楼型2層櫓で、天守の原型と言われている。

その西側先端に乾櫓(重文)がある。この櫓も2層の隅櫓で築城当初からの建物である。

人通りもなくここで空撮を始める。しかし、アイフォンの画面には空撮禁止の妨害電波が入って?十分な撮影にはならなかったが、感性を働かせて数枚の写真を撮影した。南隅櫓と西隅櫓の間に本丸が少し顔御出している。

乾門と続櫓の防御を強固にするために石垣を築き左右の櫓から攻撃できる構造となっている。

入口から見た乾門と城郭。最も重要な門の一つで堅固な構えになっている。

ここから本丸の城壁に沿って散策する。城壁の上に立っているのは野原櫓である。

市民の散策道となっており歩きやすく整備されていた。天守の鬼門に当たる場所には艮(うしとら)門と続櫓がある。少しの広場を見つけて空撮を開始。本丸内と違ってか妨害電波はなし。動画と一部自撮りを終了。東から見た天守は西側の入り口と同様の構え。右角に天神櫓、左には小天守と虎口の櫓群を控えた天守の姿は壮大。

ちょっと自撮りも。

本日の目標達成してリフトで松山城を下山する。

次回の予定は丸亀城。日取りは未定。
城郭周りの散策を始める。南の紫竹門から侵入する。紫竹門とこれに接続する西塀、東塀で本丸広場方面から攻め入る敵を分断する役目と本丸のからめ手の重要な役割を持つという。それぞれ3つは重文。
写真右上の建物は小天守。その左は南隅櫓。左奥は手前から乾門東続櫓、乾櫓(重文)で二の丸から攻め上ってきた敵を迎え撃つ重要な防御拠点であり、門の左右に櫓が構えられている。
西の乾門方向からの防御態勢はこの図面で明確になる。
中の広場を北に進むと野原櫓(重文)がある。この櫓は本丸の北側を防御する重要な櫓で、日本で唯一現存する望楼型2層櫓で、天守の原型と言われている。
その西側先端に乾櫓(重文)がある。この櫓も2層の隅櫓で築城当初からの建物である。
人通りもなくここで空撮を始める。しかし、アイフォンの画面には空撮禁止の妨害電波が入って?十分な撮影にはならなかったが、感性を働かせて数枚の写真を撮影した。南隅櫓と西隅櫓の間に本丸が少し顔御出している。
乾門と続櫓の防御を強固にするために石垣を築き左右の櫓から攻撃できる構造となっている。
入口から見た乾門と城郭。最も重要な門の一つで堅固な構えになっている。
ここから本丸の城壁に沿って散策する。城壁の上に立っているのは野原櫓である。
市民の散策道となっており歩きやすく整備されていた。天守の鬼門に当たる場所には艮(うしとら)門と続櫓がある。少しの広場を見つけて空撮を開始。本丸内と違ってか妨害電波はなし。動画と一部自撮りを終了。東から見た天守は西側の入り口と同様の構え。右角に天神櫓、左には小天守と虎口の櫓群を控えた天守の姿は壮大。
ちょっと自撮りも。
本日の目標達成してリフトで松山城を下山する。
次回の予定は丸亀城。日取りは未定。
Posted by さぬき男介護友の会 at
23:40
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2019年10月15日
介護の合間 四国の名城巡り⑪
松山城その2
天守は江戸末期に3層3階地下1階の建物に再興されたことで戦に備えた構造は見当たらず、大きな入母屋破風の非常にシンプルな構造となっている。

小天守2階の窓から見た天守。非常にすっきりした美しいフォルムである。

天守3階の最上階まで急な階段を上ると意外に広い部屋になっている。通常天守の床は板張り、天井板もないが、松山城は各層天井板があり、畳が引ける構造となっている。さらに床の間があり、ふすまを入れるための敷居まである。太平が長く続いた最後の天守建築の特徴を表しているのか。

広く開かれた窓から松山平野を眺望する。南面の本丸広場先には松山市街地が広がる。

小天守を見下ろすとその先にはお濠と二の丸跡が見下ろせる。

西に目をやると、南隅櫓と北隅櫓の間から野原櫓が見えて、その向こうには瀬戸内海と島々が望まれる素晴らしい展望である。
天守を退出するときもう一方の内門がある。

ここを出て仕切門(重文)をくぐり天守を半周すると二の門の前に帰り着く。
来た道を引き返し天守城郭を退出する。
次は天守周辺と本丸周辺をドローンを下げて散策する。次号乞うご期待!
天守は江戸末期に3層3階地下1階の建物に再興されたことで戦に備えた構造は見当たらず、大きな入母屋破風の非常にシンプルな構造となっている。

小天守2階の窓から見た天守。非常にすっきりした美しいフォルムである。
天守3階の最上階まで急な階段を上ると意外に広い部屋になっている。通常天守の床は板張り、天井板もないが、松山城は各層天井板があり、畳が引ける構造となっている。さらに床の間があり、ふすまを入れるための敷居まである。太平が長く続いた最後の天守建築の特徴を表しているのか。
広く開かれた窓から松山平野を眺望する。南面の本丸広場先には松山市街地が広がる。
小天守を見下ろすとその先にはお濠と二の丸跡が見下ろせる。
西に目をやると、南隅櫓と北隅櫓の間から野原櫓が見えて、その向こうには瀬戸内海と島々が望まれる素晴らしい展望である。
天守を退出するときもう一方の内門がある。
ここを出て仕切門(重文)をくぐり天守を半周すると二の門の前に帰り着く。
来た道を引き返し天守城郭を退出する。
次は天守周辺と本丸周辺をドローンを下げて散策する。次号乞うご期待!
Posted by さぬき男介護友の会 at
16:59
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