2019年10月03日
介護の合間 四国の名城巡り⑦
宇和島城
宇和島市は「伊達10万石の城下町」と呼ばれ四国西南地域の中心として発展してきた。宇和島城は市街地のほぼ中央の小高い丘の上にあるが、建設当時は西側半分が海に面して、東側半分は海水を引き込んだ堀に囲まれた海城だった。

5角形の縄張りは築城の名手藤堂高虎の設計によるもので6年の歳月をかけて建設した。高虎が宇和島城の完成と同時に今治に入封した後に、伊達政宗の長男秀宗が入城した。2代藩主宗利が約10年をかけて城全体を大改築し3層3階の装飾性の高い天守となった。

城郭の東・南半分は国道56号が隣接しており、宇和島市街地を7回も大きく屈折する難所であった。海と山に囲まれた宇和島の町をいかにバイパスするかが40年前の大きな課題であったが、現在の港に隣接する位置にルートを決める作業にかかわったのはいい経験であった。何度も宇和島には足を運んだが、お城に上ってみることはなかった。
東北側の登城口から上ることにした。そこには藩老の武家長屋門が移設されていた。

ここから登城道を上るが、街中とは思えないほど樹木がうっそうと茂り、苔むした石垣を眺めながら道も整備されて市民の散策コースとなっている。

天守台の石垣はきれいに成形された石が積まれているが、斜面の石垣には海から集められたような岩も使用されていて面白い。

山頂近い広場まで上り詰めて、苔むした石垣に沿って石段を上る。

職人がロープで体を支えて草刈り機を器用に操作して石段に生えたつたなどの雑草を除去している。石垣をきれいに維持するのも大変な作業だ。

入口から天守の中に入ると鎧兜3体が並べられている。どこかで見たことがありそうな兜だが説明がない。

3階の最上階からの眺めは絶景。東側の宇和島駅周辺の市街地を望む。

北側の市役所、港、56号バイパスを望む。

武者走りに障子戸があるのは珍しい。平和な時代の造りではないかと言われている。

天守の説明図。

天守を退出して少し離れた二の丸からの自撮り。

二の門付近からの空撮

少し斜めから見ると玄関が落ち着いて見える。次回は宇和島のさらに南の津島町にある南楽園を紹介。
宇和島市は「伊達10万石の城下町」と呼ばれ四国西南地域の中心として発展してきた。宇和島城は市街地のほぼ中央の小高い丘の上にあるが、建設当時は西側半分が海に面して、東側半分は海水を引き込んだ堀に囲まれた海城だった。
5角形の縄張りは築城の名手藤堂高虎の設計によるもので6年の歳月をかけて建設した。高虎が宇和島城の完成と同時に今治に入封した後に、伊達政宗の長男秀宗が入城した。2代藩主宗利が約10年をかけて城全体を大改築し3層3階の装飾性の高い天守となった。
城郭の東・南半分は国道56号が隣接しており、宇和島市街地を7回も大きく屈折する難所であった。海と山に囲まれた宇和島の町をいかにバイパスするかが40年前の大きな課題であったが、現在の港に隣接する位置にルートを決める作業にかかわったのはいい経験であった。何度も宇和島には足を運んだが、お城に上ってみることはなかった。
東北側の登城口から上ることにした。そこには藩老の武家長屋門が移設されていた。
ここから登城道を上るが、街中とは思えないほど樹木がうっそうと茂り、苔むした石垣を眺めながら道も整備されて市民の散策コースとなっている。
天守台の石垣はきれいに成形された石が積まれているが、斜面の石垣には海から集められたような岩も使用されていて面白い。
山頂近い広場まで上り詰めて、苔むした石垣に沿って石段を上る。
職人がロープで体を支えて草刈り機を器用に操作して石段に生えたつたなどの雑草を除去している。石垣をきれいに維持するのも大変な作業だ。
入口から天守の中に入ると鎧兜3体が並べられている。どこかで見たことがありそうな兜だが説明がない。
3階の最上階からの眺めは絶景。東側の宇和島駅周辺の市街地を望む。
北側の市役所、港、56号バイパスを望む。
武者走りに障子戸があるのは珍しい。平和な時代の造りではないかと言われている。
天守の説明図。
天守を退出して少し離れた二の丸からの自撮り。
二の門付近からの空撮
少し斜めから見ると玄関が落ち着いて見える。次回は宇和島のさらに南の津島町にある南楽園を紹介。
Posted by さぬき男介護友の会 at
23:27
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