2017年02月28日

ちょっと一息~沖縄介護ステイNo5

今泊部落歴史散策その1
地元のボランティア団体のガイドで今泊部落の歴史散策に参加した。
1609年の島津藩の琉球侵攻で最初に今帰仁城が壊滅した。その後、城内居住者も場外の今帰仁、親泊集落の住民も新しい海辺の土地を開拓して移住することになった。両部落の頭文字をとって新しい部落は今泊と名付けられた。今から400年ほど前のことである。新しい部落は東西南北の街路で区分され、海辺の暴風に耐えるためのフクギ(防風林)が植えられた。道は碁盤目になってはいるが、直線ではなく交差点で少しずれている(三叉路の連続)。これは当時の高度な防衛戦略の一環と考えられる。
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その三叉路の角には魔物を左右に払うため必ず魔除けのお札 石敢當(いしがんとぅ)が設置されている。
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石敢當の原型が部落に残っていた。
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部落の中心には大通りがある。これはプミチー(馬場)で部落の祭事が行われる広場を兼ねており、現在でも剣道などの催しが行われている。
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今泊は太平洋戦争の空爆で2度目の壊滅状態となりフクギも燃えてしまったが、生き延びた根から新芽が出てフクギ並木が再現している。
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生き残った根は一体化して、新木は屋根の高さで成長を止められている。
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我家のフクギは昨年移植した5年物で大きくなるのが楽しみ。
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戦後の困窮時代にフクギも切り倒されてブロック塀が使用された。現在、景観をよくするために部落民がボランティアで塀に石張りをしたり、竹製の塀で目隠しをしたりしている。
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Posted by さぬき男介護友の会 at 07:59│Comments(0)
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