2020年11月16日
介護の合間 国宝松江城巡り
国宝となった松江城
10月31日(土)全国男性介護者ネットワーク第7回山陰ブロック交流会に参加のため米子市を訪れた。会議の状況は認知症家族の会鳥取県支部代表の吉野さんがFacebookに投稿して、このブログにもシェアしたので割愛する。せっかくの米子訪問に皆生温泉でゆっくりとおいしいカニを食べるつもりが、GOTOトラベルで軒並み満員。米子駅前のホテルでカニ尽くしの料理を堪能して留飲を下げた。
翌日は、吉野さん夫妻の案内で米子市の認知症活動拠点となっているわだや小路を訪ねた。米子の古い町並みの残る旧市街地の中で、旧家をうまく活用して、皆さんが集まれる場としてのオレンジカフェのほかに宿泊も可能な部屋も用意している。機動力を発揮できる活動拠点として整備されていたのには感心した。
車で約30分で松江城に到着。昼食の出雲そば屋に車を駐車して、内濠沿いを松江城の大手前に向かう。

松江城は関ケ原の戦いの後、出雲・隠岐の領国を拝領した堀尾義晴が築いたもので、現存する12天守の中で広さで2番目、高さで3番目の規模を誇る国宝の城です。明治初頭、多くの城が取り壊される中、取り壊しを免れ市民の手で守られてきました。
松江城の国宝指定は旧法国宝保存法により国宝に指定されていましたが、戦後文化財保護法の施行に伴い重要文化財に変更されました(高知城も同様)。その後国宝指定の陳情を繰り返し、学術研究成果も評価されて平成27年国宝に再指定されました。確かに真新しい石碑です。

この時に慶長16年(1611年)の文字が記載された2枚の祈祷札が松江城二の丸にある松江神社で発見されて、この祈祷札の釘穴とぴたりと合った天守の柱を探し出したという奇跡的な出来事があったようです。
天守は4層5階地下1階で、最上階の5階は壁のない望楼型天守となっている。
天守の屋根にそびえる鯱は木造銅板貼りで現存12天守の中で最大のものです。
天守の外壁は姫路城のような白い漆喰塗は少なく、大部分は黒く厚い下見板張りで覆われている。

この天守構造の特徴は2階分の通し柱を各階に相互かつ均一に配した「互入通し柱」で上階からの荷重を分散して高層化したことである。
柱には各階ごとに柱の割れ隠しと補強効果も兼ねた包板が施されている。

5階の最上階まで上ると「天狗の間」と名付けられた四方すべてを眺められる壁のない構造となっており、眼下に宍道湖と松江の町並みが見下ろせる。


ここで案内していただいた吉野さんのスマホで記念写真。吉野さんには天守に登るために上履きと靴下、コロナ対策にビニールの手袋まで準備いただいた。

天守を降りて内濠沿いを歩いていると、堀川に遊覧船が進んで
くる。堀川にかかる橋の下をくぐるときには、屋根が可動式になって低くなる構造になっていると聞く。

内濠に沿った武家屋敷跡の近くの蕎麦屋さんでおいしい出雲そばをいただく。
食後は雰囲気のいい喫茶店に場所を移して、看護師の奥さんから介護の手ほどきを受ける。男性介護者の思い込みによるいい加減な介護が少しずつ紐解けてきた気がした。2日間吉野夫妻には大変世話になった有意義な山陰旅行であった。

10月31日(土)全国男性介護者ネットワーク第7回山陰ブロック交流会に参加のため米子市を訪れた。会議の状況は認知症家族の会鳥取県支部代表の吉野さんがFacebookに投稿して、このブログにもシェアしたので割愛する。せっかくの米子訪問に皆生温泉でゆっくりとおいしいカニを食べるつもりが、GOTOトラベルで軒並み満員。米子駅前のホテルでカニ尽くしの料理を堪能して留飲を下げた。
翌日は、吉野さん夫妻の案内で米子市の認知症活動拠点となっているわだや小路を訪ねた。米子の古い町並みの残る旧市街地の中で、旧家をうまく活用して、皆さんが集まれる場としてのオレンジカフェのほかに宿泊も可能な部屋も用意している。機動力を発揮できる活動拠点として整備されていたのには感心した。
車で約30分で松江城に到着。昼食の出雲そば屋に車を駐車して、内濠沿いを松江城の大手前に向かう。

松江城は関ケ原の戦いの後、出雲・隠岐の領国を拝領した堀尾義晴が築いたもので、現存する12天守の中で広さで2番目、高さで3番目の規模を誇る国宝の城です。明治初頭、多くの城が取り壊される中、取り壊しを免れ市民の手で守られてきました。
松江城の国宝指定は旧法国宝保存法により国宝に指定されていましたが、戦後文化財保護法の施行に伴い重要文化財に変更されました(高知城も同様)。その後国宝指定の陳情を繰り返し、学術研究成果も評価されて平成27年国宝に再指定されました。確かに真新しい石碑です。
この時に慶長16年(1611年)の文字が記載された2枚の祈祷札が松江城二の丸にある松江神社で発見されて、この祈祷札の釘穴とぴたりと合った天守の柱を探し出したという奇跡的な出来事があったようです。
天守は4層5階地下1階で、最上階の5階は壁のない望楼型天守となっている。
天守の屋根にそびえる鯱は木造銅板貼りで現存12天守の中で最大のものです。
天守の外壁は姫路城のような白い漆喰塗は少なく、大部分は黒く厚い下見板張りで覆われている。

この天守構造の特徴は2階分の通し柱を各階に相互かつ均一に配した「互入通し柱」で上階からの荷重を分散して高層化したことである。
柱には各階ごとに柱の割れ隠しと補強効果も兼ねた包板が施されている。
5階の最上階まで上ると「天狗の間」と名付けられた四方すべてを眺められる壁のない構造となっており、眼下に宍道湖と松江の町並みが見下ろせる。
ここで案内していただいた吉野さんのスマホで記念写真。吉野さんには天守に登るために上履きと靴下、コロナ対策にビニールの手袋まで準備いただいた。

天守を降りて内濠沿いを歩いていると、堀川に遊覧船が進んで
くる。堀川にかかる橋の下をくぐるときには、屋根が可動式になって低くなる構造になっていると聞く。
内濠に沿った武家屋敷跡の近くの蕎麦屋さんでおいしい出雲そばをいただく。
食後は雰囲気のいい喫茶店に場所を移して、看護師の奥さんから介護の手ほどきを受ける。男性介護者の思い込みによるいい加減な介護が少しずつ紐解けてきた気がした。2日間吉野夫妻には大変世話になった有意義な山陰旅行であった。
Posted by さぬき男介護友の会 at
16:24
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